愛さんさんに込めた想い
「愛さんさん」という社名にしたのは2016年、美空ひばりさんの『愛燦々』という曲名が由来になっています。
- 働く仲間やお客様、地域に愛されるように
- さんさんと輝く光となり、様々な方々を照らせるように
- I sun sun = 私、輝く という意味に
さんさんと輝く光となり、様々な方々を照らせるように、働く仲間やお客様、地域に愛されるように
英語にすると、「愛さんさん」は「I sun sun」であり「私、輝く」という意味に
通常働くことが難しい方も良いところに光を当てることで、そこを伸ばしながら、輝いて働けるように、という思いも込めています。
「生まれてきてよかった」を創り続ける、とは?
それについて、私の昔の話をすることになりますが、よろしければお付き合いください。
1/5 幼少期の体験
まず小学校低学年の時、サラリーマンの父、専業主婦の母、それから私と弟の4人暮らしで、家族でレジャーに出かけるなど本当に家族愛溢れる家庭でした。
ただ、小学校4年生ぐらいになると両親が不仲になり幼心に「何が、なぜ起こっているんだろう」と思いながら見ていました。
それによって「自分は絶対に家族愛溢れる家庭をつくっていきたい」「幸せになりたい」「愛に包まれた人生を過ごしたい」という思いがその後の私の人生に繋がる根本になりました。

2/5 大学生活で出会った言葉
その後両親は離婚し、私は大学生になりました。
ただ、無目的無目標のまま大学生になった私にはどうして良いかが分かりませんでした。
そんな時出会ったのが松下幸之助さんの言葉で「人は必ず役割を持って生まれてくる」ということです。私はその言葉を知って、自分もその役割に出会いたいと思いました。
そこからの大学生活では自分の役割というものについて考え、バックパッカーや20種類ほどのアルバイトを経験しました。その後の就職活動では30社応募して全て不採用で、一旦就職活動をやめて一年間音楽活動をしたこともありました。ただ、それもCDを出すところまではいったものの上手くいかず、その後ベンチャー企業に就職しました。

3/5 大学生活で分かったこと
それから就職活動やアルバイトを経験して、分かったことが一つあります。
それは、自分がどの仕事に合っているかなどではなく、心から「ありがとう」と言われ、愛に包まれていく人生を歩むことが自分の生まれてきた理由であり、役割だということでした。
その為には、サラリーマンではだめだなと思いました。経営者という道を歩きながら、自分が掲げた信念の下、集まって来てくれた仲間と共に「ありがとう」という言葉に包まれる人生を歩みたいと思いました。このとき「10年後の33歳までに、創業しよう」と決めました。
4/5 母の死
大学を卒業し、初めて就職した時に母が病気で余命を宣告されました。
最後の最後は在宅で酸素マスクをつけ、排せつは管、そして食事は、胃に穴を開けて胃ろう。こういう状態で、震えて亡くなりました。そんな母を見るのが本当に辛かったです。
この体験は今の愛さんさんの安らかな最後の実現を目指すということにも繋がっています。
そして、母が最後に私に言った言葉は「私の人生には悔いが無い。だからあなたも、悔いのない人生を生きなさい」ということでした。私は、そういう状況で、自分の人生に悔いがないと言える人生ってすごいなと思いました。
そして自分も「自分の人生に悔いはない」とはっきり言える人生を歩もうと誓いました。
そのためにどうしたらいいのかということを考え抜いた結果、本当に人生の最後の最後、「生まれてきてよかった」と言える人生を幸せだと思う、ということにたどり着きました。
5/5 東日本大震災のボランティアを経て
2011年3月11日、東日本大震災の翌月、自宅があった神奈川から石巻市に入り、ボランティアに参加しました。その際には泥かきや民家の清掃を行い、定期的にボランティア活動に関わっていました。
そして、2012年に神奈川での仕事を退職し、仙台で社団法人に所属して1年間経営者の支援を行い、2013年に石巻で創業しました。偶然なのですが、この時が大学時代に企業を決意してからちょうど10年後、33歳の時でした。
創業した当初は何の事業をするかというより、とにかくここで困っている方々の為に役に立つことをしようという思いで仮設住宅の方への宅食から始めました。
そこから、障がい者の方を支えたいという思いで就労支援を行い、更に訪問介護、有料老人ホーム、デイサービスと、どうやったら人の役に立てるか、「生まれてきてよかった」と思える人を増やすためにはどうしたらいいか、それを考えて事業を発展させて来ました。


